奨学金を借りている大学生に必読レベル「ブラック奨学金」今野晴貴著という記事でブラック奨学金という本の感想と奨学金を返せなくなる過程、返せなくなった時に取るべき行動を紹介しました。
私自身、6年間奨学金を利用できたおかげで大学・大学院を修了することができたので、とても感謝しています。
まぁ、これまでの人生と同じくらいの返済期間なので不安もありますが……
ブラック奨学金の中では奨学金についてだけではなく、奨学金が必要となる背景である教育政策についても書かれています。
一番知ってほしかった内容は返済についてだったので、前回は省略しました。
ですが、教育費政策パートについて他の人にも知ってほしいので同じ本について2回目の記事です。
何のために大学に行くのか
一般的に大学は国家を担うエリートを養成することを目的としてきたため、その多くは公的に供給され、教育費も公的に負担されてきた。
(中略)
近年では大学や専門学校への進学が一般的になり、必ずしも「エリートの育成」という役割ばかりではなくなってきた。今では、国内の技能や教養の水準の確保のために、幅広い高等教育が必要とされている。
ここで言う教育費の公的負担とは授業料を無料または低く抑えるということである。
以前は「エリートの育成」が大学の主目的だった。
これが変わったのは近年の産業の高度化などの理由で単なるエリートの育成に限らず、幅広い分野において「エリートではない普通の人の育成」が必要になったからだと思う。
その割に「大学で学んだことなんて役に立たない」という人が多いのはなぜなのだろう?
教育費政策4分類
上で述べたように幅広い高等教育が必要となっていることを背景に、世界的には低学費、給付型奨学金(補助)の2つが高等教育政策の柱となっている。
日本はD:高授業料・低補助に属している。
公的補助が少ないということは、当然、私費負担が大きいことを意味している。
日本で公的な教育投資が少ないのはなぜか。
この本では次のようにある。
日本の福祉政策全体に通底する、家計・企業への依存体質がある。日本の社会保障は、国によって幅広く保障される代わりに、「企業主義的」に形作られてきた。企業は労働者に年功賃金を保障することで、年齢とともに上昇する住居・教育の必要性を満たしてきたのだ。
つまり、今までは国の補助は少なかったが、終身雇用・年功序列をしていた企業のお陰で教育は回っていた。
しかし、終身雇用・年功序列が崩れたために上手く回らなくなったと。
その結果、奨学金(=借金)を使って大学に行く人が増えた&非正規雇用が増えた結果、奨学金の問題が表面化したのか。
そもそものところ、なぜ家計や企業に福祉を依存するようになったのだろうか?
誰が次世代を育成するのか?
欧米の職業訓練制度が国と企業が連携して進められる公的制度が中心を占めているのに対し、日本ではもっぱら就職後に企業によって担われている。
私は同じ「新卒採用」でも日本と海外で次のような違いがあるイメージをもっている。
- 海外:能力をもっている人を採用
- 日本:成長しそうな人を採用
海外では在学中に企業と学校が連携して職業訓練をするのに対して、日本は就職後にOJT(On-the-Job Training)をするくらいである。
「新入社員の教育にはとてもコストがかかる」と新入社員研修で言われたし、実際お金をかけてくれているように感じている。
終身雇用が基本だった時代ならば、ずっといてくれるためコストを払うメリットが大きかった。
しかし、先程述べたように、終身雇用という前提が崩れている。
国も企業も教育に投資しないのであれば、誰が教育に投資するのだろうか?
「日本は資源に乏しいから人や技術が大切」とよく聞くけど虚しいよね。
結局はお金
この記事のタイトル「奨学金(=借金)はなぜ必要なのか?」に対する私の答えは「今までは企業が年功序列・終身雇用という形で教育をカバーしていたが、それが崩れたため」である。
奨学金を借りて大学・大学院を出たが教育政策が海外と日本で大きく違うということは意識していなかった。
結局のところ全ての問題はお金に帰結する。
ちょっと前に流行った「選択と集中」を大学にも当てはめたほうがいいんじゃないかな。
予算の重点配分とかではなく、必要性のないような大学を潰すくらい思い切ったやつ。
だって分数の計算方法からやる大学ってどうよ?
奨学金制度だけではなく、教育政策についても書いてある「ブラック奨学金」に興味をもった方はぜひ読んでみてください。
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