直感≠なんとなく?『「思考軸」をつくれ ― あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由』 出口治明 著

こんにちは。ミドノン(@LearnMidonon)です。

今週読んだ本を紹介します。

今週読んだのは「思考軸」をつくれ ― あの人が「瞬時の判断」を誤らない理由です。

なぜこの本を読んだのか

この本に目をつけたのは誰かの紹介というわけではなく、Kindle のセールで安くなっていたから。

私が瞬時の判断というのがとても苦手なため、気になりました。

素早い判断が求められるような場面では、ついつい焦ってしまい、よくない決断をして後悔することが多いです。

そのため「瞬時の判断を誤らない理由」というタイトルに惹かれました。

基本情報

どんな本か

私がこの本で皆さんに伝えたかったことは、常識に囚われず数字と事実とロジックを武器に自分の頭で考えるクセをつけてほしい、ということです。

本の最後にこうあるように「自分の頭で考える」ための方法について書いている本。

「考え方そのもの」というよりも「そのための判断基準をどのように手に入れるか」に重きが置かれているように感じた。

目次

  • 序章 ベンチャー生保の立ち上げにかけた想い
  • 第1章 5つの「思考軸」と大切にすべきこと
  • 第2章 森を見る「タテヨコ思考」のすすめ
  • 第3章 「多様なインプット」で直感と論理を磨く
  • 第4章 「違った人」をいかすリーダーシップ
  • 第5章 「勝率100%」の真っ向勝負
  • 第6章 私たちが、いまいるところ

    直感について

仕事や研究をするときに「まず何をするか」をどのように決めますか?

前例があればそれに沿うと思いますが、そうでない場合はどうするでしょうか。

なんとなく直感で決めることが多いと思います。

この「なんとなく」というのは、どのようにして求められているのでしょうか。

何か課題を与えられると、脳は無意識の領域でも自分の脳内にストックしてある知識や情報を検索し、さらにそれらを足したり引いたりして最適解を導き出します。これが直感の正体です。

つまり、直感というのは、その計算のプロセスを自分でも意識できないほどのスピードで「脳をフル回転させて得たアウトプット」であり、言語化はできなくても、単に直情的に行動するのとはまったく違う性格のものなのです。

自分では「根拠なく、なんとなく」思いついたつもりでも、無意識のうちに「最適」だと判断した結果が直感だそうです。

そのように無意識のうちに最適解を求めるのが直感であるならば、その精度はどうすれば上がるのでしょうか。

直感は「ストックしてある知識や情報=インプット」の量が多ければ多いほどその精度が上がります。

つまり本から学んだことや実際に経験したことなど、脳内にストックしてある知識や情報を増やすことが必要とのことである。

また、ストックしてある情報をどのような規則に従って処理するのかが重要。

そして、筆者はこの規則のことを「軸」と呼んでいる。

軸というのは言葉を換えれば「思考する際の前提条件」です。「これとこれを前提に考える」という項目が自分のなかで固まっていれば、どんな事象に対してもブレることなく自分なりの判断を下すことができるでしょう。

本書の中では様々な軸が紹介されていますが、私が強く共感したのは次の2つです。

自分はもちろん、人間全体でみてもその能力なんてたかがしれている。そうやって謙虚にものごとにあたる方がよりよい判断に結びつくと固く信じているのです。

何かを取れば何かを失う、決して「いいとこ取り」はできないのです。これを思考の軸に加えておくことで決断は確実に早まります。

抜き出すとこういうことです。

  • 人間は賢くない
  • すべてのものはトレードオフ

どのようにして軸をつくるのか

判断するためにはタテ・ヨコの考えが有効

先ほどは「軸にそって、自分の直感で決める」とありましたが、前例があるのであれば参考にしますよね。

ですが、「今までの前例をそのまま使えばいい」というわけではありません。

次のように歴史の振り返り

手ごわい問題に遭遇したら、古今東西の歴史のなかから同じようなケースを探し出して、先達がどのように対処し、その結果どういうことが起こったかを調べてみるのです。

有史以来、人間の脳の形状もサイズもそれほど変わっていないのだから、時代の影響はあるとしても、ある状況における人間の考え方や行動様式には基本的にそれほど差はないと考えています。

そして、他国との比較

他国と比べてみることで、日本国内では常識と思われていることが実は非合理でもっと効率のいいやり方がいくつもあったと気づく可能性もあります。「いままではこうだったから、この先も同じでいい」という考え方はもはや通用しません。

わかりやすいように並列にすると、次のようになります。

「歴史というタテ軸」と「世界というヨコ軸」を自分のなかにもつことが大切なのです。

この「歴史という縦軸」と「世界という横軸」を自分の中にもつためには、どうすればいいのでしょうか?

関連した歴史書・学術書を読み、データを眺めていれば、おのずと事実に近いところには到達できます。「いまはこうだけれど、昔はどうだったのだろう」と考え、時間軸を大きく過去まで伸ばし、歴史のなかから参考事例や比較対象を見つけてきて、それらとの関係性のなかから真実を導き出すのです。

要するに「昔はどうだったのか」「現在、他国はどうしているのか」に関して調査しておき、インプットすることが大事ってことですね 。

まずは分厚い本でインプット

たまに「アイディアが降りてきた」とか「天啓がひらめいた」とか言う人がいますが、これだって実際はもともと自分の脳に格納されていて意識していなかったものが、何かの拍子に顕在化したというだけのこと

どんなに素晴らしい頭の使い方を学んでもインプットの絶対量が足りなければ判断の精度は高まらないし、発想の幅も広がらない。

昨今、「知識を詰め込むだけでは劣化コンピューター。それでは役に立たない」と言われてますが、「インプット=無意味」かというと、そうでもないみたいです。

「新しい発想」も「完全な新しいもの」はほとんどなく、既存のものを分解したり、真似たりして組み合わせられている、ということも多いです。

つまり、インプットが無ければ新しい発想というものもできません。

ではインプットを増やすためにはどうすればいいのか。

「大事そうなものを選んでインプットすればいい」と思いますが、そうでもないみたいです。

私のインプット方法は「最初は自分で選ばず、とにかく大量に取り込む」というものです。

自分に役に立つ情報だけを抽出することができればそれに越したことはありませんが、そんな芸当が最初からできるわけがありません。

それであれば、自分のアンテナにかすったものはとりあえず片っ端からインプットする、と決めてかかるのです。

言われてみれば当然ですね。初めて学ぶことに対して、何が大切かわかるわけがありません。

「大切と感じたものが枝葉だった」「不要だと思ってスルーしたことが重要だった」ということもありえます。

そのような悲劇を防ぐためにも、とりあえず片っ端からインプットするというのは合理的なのかもしれません。

読書というのは食事と似ています。

何を食べたかは忘れてしまっても、栄養分は確実に身体に吸収されてその人の骨や筋肉やエネルギー源になっている。

これと同じように、読書で得たインプットはたとえその詳細を覚えていなかろうが、確実に脳に蓄積されており、その人が思考する際に使う軸の基礎を形づくるのです。

忘れてしまっても仕方がないというスタンスなんですね。

また、「読む時の方法」や「最初にどんな本を読むのか」については次のように述べています。

私は本を読むときに線を引いたり、書き込みをしたりはしません。

その代わり、書かれていることが気になったら、同じ著者の本をまとめて全部読みます。

そうすると、その人のものの見方や考え方が自分のなかに取り込める、つまりは血肉化するのです。

また、どんな本を読むのかについて

人から薦められた本は四の五のいわずにすぐに買って読む、というのもお薦めのルールです。

本は高くてもせいぜい数千円とそれほど高い投資ではないですし、つまらなければ読むのをやめればいいだけの話なので、ここで躊躇するのはもったいないと思うのです。

これは私も実行しています。

勧められたって言うよりも気になった本を買うって感じですけど。

最初に読む本については、次のように分厚い本をオススメしています。

ある分野の知識を早急に身につけなければならない場合は、関係ありそうな本を十冊ほど手元に用意し、「いちばん分厚く難解そうな本から」読んでいくこと。私の経験上、これがもっとも効率のよい方法です。

何で分厚い方がいいのかという点については次のようにありました。

分厚い本というのは、その分野に関することが網羅的に書かれているので、基礎的な知識がないと読むのに苦労する。

しかし、頑張って読み通せば全体の輪郭が見えてくる。

それに対して、薄い入門書は内容をコンパクトにまとめたものなので、省略されている部分が多い。

全体像が把握できていれば、「どこが省略されているか」類推できるが、全体像を知らずに要約をいくら読んでも、その分野を体系的に理解することはできない。

つまり、いきなり入門書を読んでも、そこに書かれていること以外には想像力が広がらないので応用が利かない。

だから、入門書だけ読んでいても時間のムダになる可能性が高いので、まずは分厚い本を何冊か読んでみることをすすめている。

この初めて分厚い本を読むとき、わからないところがあってもかまわないし、ノートにまとめる必要もないそうです。

上にあったように忘れても血肉になるとのこと。

そして、分厚い本をだいたい四、五冊読むと、知識もそれなりに増え、おぼろげだった輪郭がだんだんはっきりしてくるらしいです。

そうなってから、ようやく薄い入門書の出番です。

そうすると、それまで混沌としていた部分がすっきりして、何が大事で何がそうでないかが一気にわかるとのことです。

心地よい安全ゾーンを離れてこそ、得られるものもある

人間どうしても心地いい場所にこもりがちで、不快な場所・よく知らない場所にはなかなか出て行きたくないですよね。

ですが、いつも同じ場所にいて、同じ刺激だけを受けていると、新しい知識・体験を得るのはなかなか難しいです。

「会いたいと思った人にはすぐに会いにいく」「食事やお酒に誘われたら誰であろうと断らない」「呼ばれたらどこにでも行く」というのがいまも私のモットーであり、皆さんにもお薦めしたいことです。

私もずっと同じメンツばかりと会っていたんですけど、去年ちょっぴり殻を破りました。

苦手なタイプの人からの誘いに応じるのは多少気が重いかもしれませんが、一見とっつきにくそうな人であっても話してみると意外な情報をもっていたり、新鮮な刺激を与えてくれたりすることがよくあります。

だから、「誘いにはとりあえずのってみること」を基本にしましょう。行ってみて面白くなければ「ちょっと、明日の朝が早いので」などといって帰ればよいのですから。

「苦手なタイプの人に会って、失敗するかも」と不安になるかもしれませんが、そういう時は次の考え方が役に立つかもしれません。

「小さな危険」にぶつかる経験を積み重ねることで、「大きな危険」を直感で判断し、避けることができるようになります。

特に若い人は多少のリスクを引き受けて、どんどん外の世界で小さな冒険を積み重ねてほしいと思います。

私は寄らば大樹の陰、石橋を叩いて渡るというように「極端なまでのリスク回避」で今まで生きてきたつもりなので、ちょっと耳の痛い意見でした。

「いまの時代、一つのところでじっとしているくらい危険な生き方はない。

その場所のルールにしたがっていれば安心と安全が未来永劫保証されるというのは幻想に過ぎない。

常に広い世界に出て変化にチャレンジし続けなくてはならない

とりあえず苦手なタイプな人とも会って、小さな危険にはぶつかっていきます。

考え過ぎもよくない

これだけ「インプットは大切」と言ってるので、「大量にインプットしたなら思考時間も長いはず」と思いますよね。

私は「考え抜いてから行動するのが良い」と思って読んでいたんですけど、そうでもないみたいですね。

だいたい「よく考えた方が間違えない」という理屈があてはまるのは、最初から出題範囲や答えが決まっている学校のテストのような場合だけです。

社会やビジネスの問題を解くときには「時間をかけてよく考える」というのは、必ずしも正しいとはかぎりません。

そこには結果に影響を与える変数が無限にあるので、時間をかけて詳細に検討しても、判断の精度はそれほど上がらないのです。

逆に判断に時間をかけることで、そこに欲や希望的観測という余計な要素が入り込んで精度が落ちる危険も高まってくる。

変数が多すぎて、判断の精度が上がらないというのは分かります。

ですが、全く効果がないわけではなくて、「あるところまではかけた時間に見合った精度が得られ、それ以上は時間をかけてもムダな点が存在する」イメージを持っています。

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この「判断精度と時間のトレードオフ」をうまいことを掴むのが仕事をする上で肝要であり、これができてこそプロなのかなと思います。

仕事について

就活において「本当に入りたい企業」に就職できる人はごくわずかです。

内定をもらえたところに入る人も多いと思います。

私は貰えた所に入ったタイプの人間です。

入るところを厳選するよりも、むしろ「入った会社や組織を好きになる」というところにエネルギーを使った方がいいと思います。

「なんでこんなこと言うのかな?」と思ったんですけど、理由を見たら割と納得しました。

どこにいっても仕事にはそう大きな差はないと思っていました。

会社や上司から命じられたことをやって毎月給料をもらえるのですから、とにかく何でもやってみよう。

楽しくなければ楽しくすればいいし、もしどうしても楽しくできなければ辞めてしまえばいい。

それもまた人生経験だからいいだろう。

そんなふうに気楽に考えていました。

大きい川の流れにゆったりと流されていく人生がいちばん自然で素晴らしいと思うのです。

現在、私はこんな感じの考えで仕事をしていて、社内の文化は割と前時代的なものですが、流されてます。

最初はやりがいとか感じずに無表情でやってたんですけど、やってるうちに割と楽しくなってきました。

雑用の段階でもわかってくると楽しいものです。

もっときちんと考えられるようになって、自分の考えが反映できるような仕事になってくると、さらに楽しくなるのかなと思っています。

仕事に楽しみを見出せない人向けには、次のようなアドバイスがされてました。

仕事には必ず目的があるということを理解し、まずはその目的を考え、次にその目的を達成するためのいちばんよい方法は何かを考えるようにすれば、仕事は自ずと楽しくなると思います。

ただ、目的の存在しない「仕事のための仕事」「会議をやるための会議」っていうのは結構あるんだよな……

まとめ

この本を読んだ目的

自身が「瞬時の判断」が苦手なため、解決策のヒントを求めて

良かったこと、感じたこと

瞬時の判断(=直感)を誤らないためには判断基準(=軸)をしっかりと持つことが重要である。

そして軸を身につけるためには多くのインプットをする必要がある。

また、ビジネスにおいては「熟慮すれば即断よりも精度が良くなる」と決まってはいない。

どう活かすか

いざというときに焦らないように、軸を作ることを意識して仕事をする。

そのためにも雑用を振られた際も、漠然と作業をするのではなく「この作業は何のためにあるのか」「次工程はなんなのか」を考えた上で作業する。(多分わからないから、先輩に尋ねる)


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